北海道函館↔根室縦断、東北西側そして関東へ
5月の北海道、正解ですね。ちょうどいい気候です。信号が少なくほんと運転しやすいです。ただし冬はわかりません(笑)。道の横の端はここまでですよ、という矢印標識があちこちありますが、その先は崖だったりしてて冬の深い降雪時の運転は命がけですね。。

以下、訪問順に記録します。
5月14日 水曜日 5日目 続き
21 上ノ国勝山館(北海道) – 続日本100名城 No.102番
15世紀中頃に和人領主の蠣崎氏(のちの松前氏)によって築かれた山城で、道南十二館の中でも最大規模を誇る。石垣や土塁、柵列など本州の中世城郭に類似した構造が特徴で、アイヌとの交易や防衛の拠点となった。ガイダンス施設から折角なので山側へ行き神社に参拝、その後下って城跡を見学しました。きれいに維持管理されています。途中アイヌの方や和人のお墓跡がたくさんあります。眺めもいいところです。スタンプは勝山館跡ガイダンス施設で押印。映像も視聴させて頂きました。




























5月15日 木曜日 6日目
長距離移動 往復1300キロになる根室への往復です。帯広で畜産をされている友人宅も抜き打ちで訪ねてびっくりさせました(笑)。写真は日勝峠の雲海と友人の牛たちです。まぁ、城巡りブログなので次行きましょう。


22 根室半島チャシ跡群(北海道) – 日本100名城 No.1番
16〜18世紀頃にアイヌの人々が築いた砦(チャシ)跡で、海を望む高台や岬に築かれた防御的構造が特徴。堀や土塁が現存し、祭祀・見張り・集会の場としても使われたと考えられている。スタンプは根室市歴史と自然の資料館内にて押印。まずはスタンプを押させて頂いて根室半島南側の道で行ったのですが、そうすると最東端の北方領土記念館に到着しそこにチャシがあると思ったので探してもなく、また風も強くなってきて意気消沈しましたが、そのまま北側の道路を気を付けながら西へ走っていましたら看板ありました。。(よかった。。)ヲンネモトチャシとノツカマフチャシを見学させて頂きました!昔からここにも人の営みがあったんですね。電気もガスももちろんなく冬はほんとに厳しいでしょうね。

































5月16日 金曜日 7日目
5月16日 金曜日は完全移動日でした。。函館⇔根室の往復1300キロ。。(^^; この強行軍ですが周りのみんなはよくやるね~、とおっしゃいますが北海道は信号も少ないし高速ではオートクルーズにしちゃいますし、それほど疲れませんよ。車がディーゼルなんでアクセルもなでるように踏むから?もあるんでしょうかね。軽だと確かに少し疲れるかもしれませんね。本土の山城なんかは軽のほうが小回りきいて幅が狭くて有利なんですけどね。さぁ、北海道シリーズは終了で東北地方の西側を攻めていきます!いざ!出陣じゃ〜(古〜)

5月17日 土曜日 8日目
23 浪岡城(青森県) – 続日本100名城 No.103番
15世紀中頃に津軽地方を支配していた浪岡北畠氏によって築かれた中世の平城で、堀と土塁を巡らせた防御的構造が特徴。北畠氏は南朝方の名門で、公家出身ながらこの地で武家化し勢力を拡大した。戦国時代末期に津軽為信に滅ぼされ、城は廃城。出ましたここで津軽氏なんですね。幕末まで続く名家ですものね。各曲輪や堀がきれいに維持管理されています。スタンプは駐車場にある浪岡城跡案内所にて押印させて頂きました。


















24 弘前城(青森県) – 日本100名城 No.3番
1611年に津軽為信の子・津軽信枚によって築かれた平山城。東北地方唯一の現存天守で焼失後に1810年に再建された。広大な内堀と石垣、櫓や門がよく残っている。城主は津軽氏が代々務め、明治維新まで続いた。スタンプは弘前城天守内にて押印。2度目の訪問ですが石垣や堀の修復作業が続いていて天守が移動した状態で拝観できます。きれいなガイダンス施設もできていていいお城です。









































25 脇本城(秋田県) – 続日本100名城 No.106番
16世紀中頃に安東愛季(ちかすえ)によって築かれた日本海を望む山城。自然の地形を活かした大規模な郭や空堀が特徴。蝦夷地交易や海運の拠点ものちに拠点を移し城は廃城に。スタンプは駐車場先の脇本城跡案内所で押印できます。雨で夕方で熊が出るとのことで本丸登城は今回は諦めました。。。












5月18日 日曜日 9日目
26 秋田城(秋田県) – 続日本100名城 No.107番
奈良時代の733年頃に国防と統治の拠点として築かれた古代城柵で、律令国家が蝦夷地支配のために設けた役所城郭。土塁や堀で囲まれた広大な構造が特徴で、政庁や軍事施設が整備された。中央政府が派遣した国司や城司が管理。スタンプは史跡公園管理棟にて押印。時間が早かったのですがその管理棟の職員の方がご親切に奈良時代に建てられた水洗トイレを私に見せるためにもう一度そのトイレまで連れて行ってくれて昔の鍵なんですがその開け方を教えてくれました。これ覚えるの難しいです(笑)その方もお客さんの前で30分あかなかったことがあるらしいです。。。




















27 久保田城(秋田県) – 日本100名城 No.9番
1604年に佐竹義宣が出羽移封後、秋田藩の藩主として築城。江戸時代を通じて佐竹氏が13代にわたり治めた拠点。自然の地形を生かした曲輪や水堀、土塁が配置されていて御隅櫓や堀跡がきれいに復元整備されていて当時をしっかり偲べます。登城日はつつじや藤の花がとてもきれいでした。いい公園ですね。スタンプは御隅櫓内で押印。

























28 鶴ヶ岡城(山形県) – 続日本100名城 No.108番
鎌倉時代初期に大泉(武藤)氏が「大宝寺城」として築城。その後最上氏を経て江戸期は庄内藩主・酒井氏が1622年から明治まで12代・約250年間にわたり城主を務めて城下町を整備。土塁と水堀が残っていて当時を偲べます。荘内神社は初代藩主の家康の側近だった酒井忠勝公はじめ酒井家の方々のようでした。スタンプは荘内神社社務所に設置されていました。





















29 村上城(新潟県) – 続日本100名城 No.131番
村上城は16世紀前半頃には本庄氏が築き、江戸時代には村上氏・堀氏・松平氏らが近世城郭へ改修しその後は内藤氏が治めた。山上の曲輪と山麓の城下町が整備され、戦国期と江戸期の遺構が混在している点が最大の魅力。石垣が本丸へ向かうほど良好に残っていて登城しながら楽しめます。天気がいまいちで夕方近くでしたが晴れれば眺めは最高ですね。スタンプは村上市郷土資料館で押印。


































5月19日 月曜日 10日目
30 新発田城(新潟県) – 日本100名城 No.31番
1598年に溝口秀勝が旧新発田氏の居城跡に築いた平城で、12代270年にわたり藩主を溝口家が務めた。天守代用の三階櫓は三匹の鯱を載せた日本唯一のデザインが特長。表門と旧二の丸隅櫓は国の重要文化財。石垣と堀がとてもきれいです。自衛隊が隣接していている関係で三階櫓のほうへは立ち入りできないようです。致し方ないですね。溝口氏ですか。。織田家奉公からですか。。勉強になります。スタンプは新発田城表門にて押印。

























31 会津若松城(福島県) – 日本100名城 No.12番
1384年に蘆名直盛が築いた黒川城を起源とし、1590年蒲生氏郷が七重天守を建て城名を若松と改称。1611年の地震後、加藤明成が五重天守に再建し、1643年以降は保科・松平(会津松平家)が居城。戊辰戦争では約1ヶ月耐え抜く難攻不落の名城として知られます。松平容保公やその家臣たち、誠にあっぱれ!ですね。3度目の登城ですが初スタンプは天守閣内売店に設置されており押印。美しい天守、石垣、立派な城郭(内堀右側半周しました)、歴史の舞台性、どれをとっても名城ですね!駐車場はこんなところまで入っていいの?っていうくらいきれいな石垣見ながら中に入れます。(笑)









































32 向羽黒山城(福島県) – 続日本100名城 No.111番
15世紀後半に蘆名盛氏によって築かれた大規模な戦国時代屈指の山城遺構。蘆名氏が本拠を黒川城(会津若松城)に戻す前の重要拠点。曲輪、堀・土塁が残っていて眺望もいいですね。蘆名氏、この辺ではよく聞きますので少し調べましたが蘆名氏の最盛期の蘆名盛氏(もりうじ)も嫡男が28歳で早世してしまい跡継ぎ問題で苦労し、盛氏亡き後は家臣による当主暗殺、1歳で当主になるも3歳で早世、新当主の下でも一枚岩になれないところで伊達が侵攻してきて敗北。。その後は復活できなかったようです。ほんとに戦国は大変ですね!スタンプは向羽黒山城跡整備資料室前で押印できました。














5月20日 火曜日 11日目
33 唐沢山城(栃木県) – 続日本100名城 No.114番
平安時代末期に
佐野氏によって築かれ、戦国時代には関東有数の堅城として知られた山城。上杉謙信や北条氏の侵攻にも耐え、関東七名城の一つに数えられた。標高約240mの唐沢山に位置し堀や石垣など遺構が良好に残っています。城主は佐野氏も江戸初期に佐野氏は転封で廃城。スタンプは唐沢山神社社務所にて押印できました。ここは以前から来たかった城跡でここが今回最後のお城になって感慨深いですね。関東平野を一望できる眺望はすばらしいです。晴れて澄みわたればスカイツリーも見えるとの事です。































以上33城、東北北海道メインの200名城巡りの旅、完結です。(次月沖縄訪問で本当に完結予定)今回のトータル走行距離約3750キロ、平均燃費は17.8キロ/Lでした。でした。今回は北海道かありましたからアイヌの方々や厳しい自然環境に対して考えさせられましたね。日本の形は世界の縮図、だと勝手に思ってますが日本の北海道は世界の北アメリカ大陸に該当。北アメリカ大陸でのインディアンと白人との関係と北海道の和人とアイヌ人との関係も似ていて面白いと思うのは私だけでしょうか。2025年、世界情勢は混沌としていますが少しでもみんなが仲良く世界が平和になっていけばいいんですがね。。
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